最高級光秀畳

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Respect

明智光秀がいた時代に思いを馳せる

明智光秀がいた時代に思いを馳せる

明智光秀がいた時代、
人々はどのような畳を利用していたのでしょうか。
三宅畳店は、明智光秀発祥のこの地
岐阜県恵那市明智町で、

その時代に思いを馳せ、
あらためて畳のあり方を考えました。

Story

光秀疊商品化への想い

初代 三宅金重と 妻 しん

初代からの想いを継承

地域の方々との交流を大切にし、90年以上愛されてきた三宅畳店。少しでも明智町、そこに住む方々に恩返し出来る、そんな商品をつくりたい。光秀畳が明智町を代表する名産品になることを目指しています。

移りゆく時代の変化

近年の畳業界は、和室の減少や中国製い草の流通による品質重視→価格重視になりつつあります。縮小する畳業界の中で原材料になるい草農家さんの数は20年で10分の1も減少しました。もう一度、国産のい草の良さを知っていただきたい。光秀畳は現在の畳業界の大きな一歩になる商品になると信じています。

Mitsuhide

「光秀疊」製品紹介

MABOROSHI

その年に収穫された最高代物。

年に一度、い草の聖地熊本県では「い草、畳表の品評会」が行われています。そこでは、その年に収穫された最高のい草(上位20%)を使って、生産者さんが魂を込めて織り上げた畳表の出来栄えを競います。その中で三宅畳店が厳選し、わずか6〜8畳分しか作られない貴重な代物が光秀畳の「幻」となります。

SHIKO

至高


圧倒的「美しさ」と「迫力

500 年の歴史の到達点


畳の始まりは平安時代。約 1300年の歴史があります。それ以前からも似たものがあったとされていますが、現在の形に近くなったのがその頃と言われています。百人一首の方々が座っているのがその頃の畳です。 当時は現在の様にお部屋に敷き詰めるということはなく、寝具や座具。今でいうマットレスや座布団の役割で、客人や高貴な方をもてなす為のもので大変高価であったと思われます。
また厚みや柄で身分を表していた事から装飾品としての面もあり、これが回りまわって現 代の「床の間」に繋がっていったようです。
鎌倉から室町時代にかけて書院造が生まれたことで畳は大きく変わります。 今まで板の間に置かれていた畳が、お部屋全体に敷き詰められるようになり、畳の構造も現代の畳と同じものになりました。 しかし高価であることに変わりはなく、貴族や武士の富の象徴でありました。
桃山から江戸時代の数寄屋造りや茶道の発展に伴い、徐々に普及していきましたが、一般庶民が畳を使えるようになったのは江戸時代中期以降。畳の使用制限の身分制度が無くなった事で爆発的に増えていったようです。
そんな畳に欠かせない素材といえば「い草」で作られた「畳表」ですね。 かつては全国各地で栽培されており「広島(備後表)」「岡山(備前表)」「熊本(肥後表)」 が大きな産地として知られていました。
とくに広島県産の「備後表」は高級畳の代名詞とされ室町時代(1532 年)から栽培が始まり、宮中や幕府の指定銘柄として品質と品位の高さを誇ってきました。 しかし現在では僅かな生産者さんを残すのみとなり、一部文化財等の補修に使われる大変 貴重なものとなっております。
熊本県産の「肥後表」は同じく室町時代(1505 年)、城主が村人にい草栽培を教えたことか ら始まりました。そのお陰で数年後に起こる大飢饉の際に暮らしに困ることはなく、熊本の 地でのい草栽培は益々広がっていったとされています。
500年以上の歴史を誇る熊本畳表。現在では国内生産の 99%を占める日本一の産地となっております。

その長い歴史の中で、気候の変化、ニーズの変化、より良い「い草」「畳表」を目指して研 究が重ねられ、幾度もの品種改良が行われてきました。 それに加え、道具の進化、技術革新。
農家さんのい草育成スキル、畳表製造ノウハウ。 畳表製造に関わる全ての方々の日々の積み重ねられた努力により、日々畳表は素晴らしく なっていると私は確信しております。

MUKASHI

圧倒的な耐久性

い草とは全く異なる独特の香りと
力強い見た目。

生産枚数、年間約2000畳

い草とは全く異なる独特の香りと力強い見た目。圧倒的な耐久性。使い込むにつれて味わいが増し、退色後は飴色に変わる貴重な畳。大分県国東市にて「琉球畳」の原料となる「七島イ(しっとうい)」が作られ、生産農家さん手により琉球畳の材料となる「琉球表」が織られています。

琉球畳について

一般的に琉球畳といえば畳の縁(ヘリ)がない正方形の畳を想像される方が多いかと思いますが、この琉球表で作った畳が、畳縁の有無に関わらず琉球畳となります。

七島イを織って作られるのが「琉球表」。それを使って作られるのが「琉球畳」となります。少しややこしいですね
かつては全国各地で栽培され当地域の一般住宅にも多く使用されていました。

国東市での七島イ及び琉球表作りの歴史は約350年にも及び、七島イがトカラ列島を原産とする事から琉球表、琉球畳と呼ばれる様になりました。

通常の畳と比べて大きく耐久性に優れる事からかつては柔道畳にも使われており、火気にも強いことから囲炉裏側にも多く用いられていました。

かつて繁栄を誇った国東の七島イも時代の流れで4件の生産者を残すのみとなり年間の生産枚数も2000畳弱。今では大変貴重な材料となりました。

現在では目にする機会こそ減ってしまいましたが、ご存知の方からは根強い人気を集めています。

生産枚数が限られているため、ご注文より少々お時間をいただきます。

畳表は光秀疊用に開発された良質のイグサの詰まった耐久性に優れた熊本産のものを使用。
畳床には、長く正座をしても足が痛くなりにくい高品質のワラ床を使用しています。

光秀畳料金表

グレード至高
表替え¥96,800(税込)¥11,000(税込)¥66,000(税込)
いぐさ産地広島熊本熊本
※新畳の場合は表替え価格に¥12,200(税込)

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